毎日ママゴン

まつぼっくり3兄弟のママ

遠すぎる実家と激務の夫。フルタイムで働きながら毎日ワンオペ育児で頑張ってます!

テレビばかり見る旦那にイラッとした話

f:id:mi0390ku:20180618130632j:plain こんにちは!ママゴンです!

育児において、子どもとどう関わっていくのかを考えることは大切なことだと私は思っていますが、夫は具体的な事象においては「こうしたい」「ああしたい」と希望はあるようですが、核の部分はふらついているような感じがします。 具体的な事象とは例えば、「箸は正しく持たせたい」「足が曲がるから正座はさせたくない」など。

家族のために責任持って一生懸命働くことが彼の中で父親として最も大切な責務であり、その合間で私との時間や子ども達と触れ合う時間を取りたいようなのです。

今回は子育て世代の夫婦によく起こるであろう「テレビ」問題について考えてみます。

事象の検証

旦那はテレビを観ることが習慣化しすぎてついてないと不安になるのか、

  • 帰ってきたら即テレビつける
  • 寝るときもテレビつけてる(タイマーなしで!!)
  • 子どもと遊ぶときも、見てんのか見てないのかわからない番組でもひたすらつけ続ける
  • ごはんの時もついてないと基本機嫌がわるい

それで今回どうなの?と思ったのは、3番目の『子どもと遊ぶ時もテレビつけっ放しにする』ってやつなのですが、テレビを見ることが悪いと言いたいわけではなく、テレビ大好きで全然いいんだけど、「このときだけは見ないでもいいんじゃないか?」って時にまでひたすらテレビに固執するのをやめてほしいなってことです。

例えば、我が家でよく見られる光景がコレ。
子どもが「ねーねー、お父さん遊んでよー」と何回も言ってるのに、そのことすら気付いてない(怒)!だから私がテレビを消すとマジ切れします。

で、こう。

「なんでテレビ消すんだよ!つけろよ!」

これ、どうなんですかね? 平日は「おはよう」以外の会話なし(私たちが出発するときに起きてくるから)。休みの日も午前中は絶対寝てるし、その後も仕事だジムだでいなくなる。 たまの休日に子どもと遊ぶ時くらいテレビ消して欲しいのですが。

私は子供たちと遊ぶ時はテレビを消しています。子ども達と向き合って遊びたいというのもありますし、テレビがついているとどうしても気がテレビへ向いてしまって、遊びが途切れ途切れになるからです。

価値観の違い

旦那の価値観は私と違って当然です。人間の行動は内面にある価値観(考え方)からうまれるものなので、テレビに対しての行動も違っていて当然です。 私も昔、1人暮しの時は帰宅後、特に見たい番組がなくてもなんとなくテレビをつけっ放しにしていました。でも、子どもとの生活が始まりテレビを観ていると一瞬目を離した隙に子どもが怪我をするのではないか?子どもが見ていないのにずっとついている環境はよくないのではないか?という考えから、子供が観たがる時以外はつけなくなりました。

一方、子供が生まれてからも夫婦ふたりの時の生活と変わらないリズムで、「仕事一徹、自宅には寝に帰るだけ」というスタイルで生活している旦那には私のように子どもとテレビについて考える機会はほとんどありません。自分の生活の延長線上に子ども達との時間があるので、テレビはついていてもなんら不思議ではないのです。

こうしてみると、私も昔はテレビについて考えたことはなかったけれど、子供が生まれたことで母親として環境のことを考え、テレビに対する価値観が変わったのです。そして、テレビがついていない生活に慣れたので、観てるのか観てないのか分からない状態でついていることに違和感を感じるようになったのです。

欲しい情報はネットですぐに手に入れることができるし、経済や国際的なニュースもネット新聞で済みます。だから、別にテレビがなくても困ることがなくなったというのも大きな要因です。ユーチューブやオンデマンドに加え、私はアマゾンプライムと契約しているので、観たい動画はスマホさえあれば見られますし。

価値観を揃える必要性を考える

子育てにおける基本的な方針は夫婦で揃えておいたほうがいいと思います。でも、日常生活での細かな事象においてまでどちらか一方の考え方に合わせる必要はあるのでしょうか?

夫婦といえども、元は他人。自分とは違う人格として存在している大人なのです。人間の本能的に備わった能力からみても、より強い遺伝子を残すために自分とは違う異性に魅かれるようにできているのです。そうやって、半ば運命的に惹かれあって夫婦となったのに、価値観が違うといって、相手の考えを排除することは正しいと言えるのか疑問です。

逆に自分の考え方が絶対的に正しいとどうやって判断するのでしょう。 これは、「子どもと遊ぶ時にテレビがついていることが望ましい環境ではない」という私の考えが「是」であることが前提としての言い分です。仮に、私の価値観も彼と同じように変わることなくきていれば、なんとなくテレビがついていても何の疑問も持たないことでしょう。だとすれば、テレビを観ながら遊ぶ旦那に対してイラッとすることもありません。

「箸を正しく持つ」「お茶碗をもって食べる」「挨拶をする」など身なりを正す(整える)ための躾とは少し違った色を持っているかな、と思います。また、「ながらスマホをしない」「ポケットに手を入れて歩かない」など身に危険が及ぶ行為を禁止することとも違う感じです。

最低限の躾は必要ですが、あまり細々とルールを決めるのもどうかと思いますし、基本は子供たちが楽しく遊べることが大切なのですが、旦那がテレビを観ながら子供たちと遊ぶというシチュエーションを無理矢理変えさせる必要は、長い目で見た時にそれほど重要なこととは思えません。

旦那が子ども達とどう関わっていくかを決めるのは旦那の責任であって、私が決めることじゃない。悩んで相談されたなら一緒に答えを探すべきだけど、旦那もひとりの大人なんだし、『こうすべき』という私の価値観を押しつけるのもよくないと思いました。

まとめ

長男は「テレビ見てないで遊んで」と旦那にはっきりと要求していますが、そう言われても旦那がテレビを消すことはほとんどありません。そんな状況でも息子たちはお父さんと遊べることを心底楽しみにしているし、旦那が子どもと遊ぶ全てのシチュエーションの中で、テレビをつけながら遊んでいる状況はほんのわずかな時間です。

母親にはできないダイナミックな遊びや男同志ならではの感覚で年齢を越えて同じフィールドで遊べるのも父親の成せる遊び方だなーと思います。だから、息子たちは父親と遊ぶ時間がいつも一緒にいる母親との時間と違って特別に楽しい時間となっているようです。

よく公園などでもずっとスマホばかり見てるお父さんをみますが、旦那はそういう行為は一切せず、ずっと息子たちと遊んでいます。身に危険が及ぶ行為でない限り、私は旦那と子ども達との関わり方に口を出すべきではないのだと思いました。

こうして「できていることに目を向ける」ことで、マイナスばかりの感情に終止符を打つことができます。これは育児だけでなく、仕事や人間関係においても大切なこと。

どうしても細かいことにばかり目がいきがちですが、子育て同様、夫に対してもおおらかな気持ちで接していけるよう、頑張りたいと思えた出来事でした。