色弱を持ってる弟がいます。色の見え方もひとそれぞれでいい
こんにちは!ママゴンです!
私はいま仕事で広報を担当してる関係で、カラーユニバーサルデザインについて勉強&レクチャーする機会があって、いろいろ調べていくうちにちょっと書きたくなったので想いを書きます。
タイトルにある「弟」はうちの次男のことじゃなくて、わたしの弟のことなのですが、遺伝的要因で弟は色弱を持っています。
母親はかなり早い段階で気付いてたらしいのですが、私がそのことを認識したのは弟が中学に入った頃だったと思います。なんの話からか、弟は色弱持ってるんだよって話になったのです。
そのときも特段「えっ!!!!」みたいな衝撃を受けることもなかったし、「ふーん。ま、それでも弟は弟になんら変わりないしね。」って感じでした。
これは日頃から母が「ひとはみんな違って当然。違うことを認められないことは悲しいことだし、違いを理由に相手を傷つけるようなことをしてはいけない。」と教えていたからに思います。
具体的にいうと、弟は赤が見えないみたいで、その場合は全体的に青と黄色がベースで構成された世界を見てるらしいです。ピンクも灰色に見えるらしい。
※わかりやすいサイトがあったからリンク貼っておきます。
昔は今みたいにネットがなくて、色弱に対する知識やその周知もなされていなかったから、母親は私がねだって買ってもらった36色クーピーを使って、弟に「これは何色にみえるの?」と片っ端から聞いて、自分の息子がみてる世界を理解しようとしたらしいです。これも母なりの愛ですね。
色弱を理解して、少しでも不自由を感じないようにしてあげたいと。
リンク先の筆者のように当の本人は最初から赤がみえない世界に住んでいるので、それをなんとも思わず、普通に暮しているし、車の運転も普通にしています。(無事故無違反で!)
信号はどっちが赤なのかを覚えていることと、赤自体が見えなくても信号の「赤」と「青」の見え方はちょっと違うそうです。
可哀想だと思うのは色が見えてる側の人間が勝手に抱く感情であって、第一、人間の大多数が赤が見えなければそれが世の常識で、赤が見える人が色覚敏感者みたいな言い方されてたんじゃないかな、と思います。
世の中のほとんどが圧倒的多数のほうに常識が傾いているだけ。特に日本は謙遜の文化だし、周りと合わせることでこの狭い国土の中で上手に生きていこうとする先人たちの知恵が働いているから、違うことが良くないことって捉えられがちだけど、色の見え方だって、ひとそれぞれ違っていいと思います。
これだけ脳が発達して、複雑な体の造りになった人間んだからこそ起きる現象ってたくさんあって、赤が見えないっていうんじゃなくて、青と黄色がすごく見えるってだけ。
ちなみに、弟は理系の大学に進んで、いまは資材開発に関わる仕事をしていますが、仕事でも色弱であることで支障をきたしたことはないみたいで、ネット動画も楽しんでみてるし、第一本人が色弱を意識したことはないと言っています。
ただ、昔からずっと青が好きだっていって、車も青だし、服は黒か茶色か、青ばかり着ています。もしかしたら、これって、たぶん弟のみてる世界には赤がないからなんじゃないかな?と思わなくもないですが。
青と黄色系の色しかない世界に住んでると、青がすごく輝いてみえるみたいです☆
そういえば、以前母から男の人は先天的に眼の遺伝が出やすいって聞いたことあります。
両親のどちらかに(両方でも)後天的な近眼があると、男の子は幼少期のうちに近眼を発症するとか。昔、よく言われてた『瓶底眼鏡』をかけてる子って遺伝なんだそうです。(弟の色弱も母方の祖父が色弱を持ってたことに関係してるんかもねって言っててました。)
理論的に言えば、 目に関わる情報を司るのはX染色体だけど、男性はXYで女性はXX。
女性の場合は両方のX染色体に異常がある場合に症状として表に出てくるけど、片方だけの場合は保因者ってだけで、異常は現れないそうです。
でも、男性はX染色体1本しか持ってないから、ここに関わる遺伝子に異常があると、そのまま症状として出てしまうということ。
だから、男性には目に関する遺伝的な疾患(?)が現れやすいとか。
これって、私の完全な憶測なのですが、まだ人類が狩猟だけで生きていた頃、男性は狩りをすることが仕事だから、多少色の区別がつかなくても動く獲物を追うことに支障はなかったと思います。でも、女性は子育てをしなきゃいけないから、子供のうんちとか顔色とかちょっとした変化を見逃さないように、目に関しては異常が現れにくくなるようになっているのでは? ちがうかなー?
この色覚問題は、昔みたいになんでも白黒だった時代には対して問題にもならなかったそうです。現代のように情報化社会になって、いろんな表現方法も増えたからこそ、色覚異常がある場合に、情報が正確に伝わらなくなったというのは、技術の進歩とそれに伴うデメリットがよく表れている例なのではないでしょうか。
しかし、医学や科学の進歩でいろんなことがわかるようになったからこそ、色弱や色盲のある人にもわかりやすいように教科書やいろんな読み物、印刷物を作ろうって取り組みがなされるようになったという一面もあるので、私が子どもの頃に比べたら色弱を持つ人にも優しい環境が整備されてきていて、とても素敵なことです!
赤が見えなくても、それを不幸だとか可哀想だとか思うこと自体、色の識別ができる側の人間のエゴなのではないか。
それを障害と思わず、個性だと捉えることも大切。
弟と大人になってからした会話でとても印象的だった1文を。
「見えないものを悔やんでも何も生まれない。与えられたこの目でできることをしたらいい。幸か不幸かを決めるのは自分次第」
仕事でカラーユニバーサルデザインに関する勉強をしたからこそ、新たな視点で世の中をみることができるようになった、というお話でした。
良いきっかけを与えてくれた、この仕事に感謝。